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見えない言葉を聞く

 その夜は、みんなで食卓を囲む最後の日だった。台所からはいつものように小言が聞こえる。「味見やで!全部食べたらアカンで」とか、「包丁そんな持ち方したら指きる!」とか。返す言葉もいつもと同じ。短く素っ気ない。「わかってる」。「心配しすぎ」。

 大阪市内のとある古民家で、週に数回開かれる『いっしょにごはん!食べナイト?』。長く地域の子ども支援を続けてきたNPO法人・西淀川子どもセンターが、夜の居場所づくりに特化し、3年前から始めた事業だ。

 登録した小・中学生と、10代から70代までの「おとな」たちが一緒に夕どきを過ごす。宿題をする子、ギターを教わる子、とりとめなくおしゃべりを続ける子もいる。子どもシェフの奇想天外ぶりはハラハラの連続で、口を出したくて仕方ない若手スタッフを、さらに上の世代がにこやかに見守る。年60回のプログラムが終わる頃には、すっかり家族の雰囲気だ。

 ここ数年、全国的にもこうした食事提供を伴う支援(子ども食堂など)が広がってきている。背景にあるのは、子どもを取り巻く経済的・社会的な生活格差、いわゆる「子どもの貧困」だ。ひとりの食事が続けば、おとなだって寂しくなる。食べ盛りの子ならおかわりもしたいだろう。大きなテーブルに、お皿やお箸をたくさん並べるのも、ちょっとしたイベントだ。「食べる」ことを通じ、子どもたちのさまざまな顔が見えてくる。

 しかし、だ。そこで見せた顔を、どうやって見守り続けるかが、本当の課題だと、『食べナイト』を主催するNPOの代表・西川日奈子さんは言う。ここに来る子どもたちの多くは、自分の気持ちを表現するのが苦手だ。「いただきます」や「ごちそうさま」の言葉でさえ、彼らの日常には存在しないこともある。「わからん」「どっちでもいい」。相手を突き放すような言葉の中に、ありったけの思いを込める。機関銃のように話し続ける子も、「じゃあどうしたい?」と、自身の感情を聞かれた途端に黙り込む。食卓は、あくまで子どもが思いを吐き出すきっかけだ。

 ふと、10年近く前の会話を思い出す。子どもセンターの学習支援に通う女の子を取材していたときのことだ。話し上手なのだが、本心をすっと隠すときがあり、次の一歩が踏み込めない。私は西川さんに言った。「手応えがないとしんどいですね」。すると「追いかけたらアカンのです。安心したら子どもは勝手に喋りだします。そこが勝負」と笑った。

 いつもように夕食が終わると、いつもと違う時間がやってきた。『食べナイト』に参加した子どもたちを手作りの証書で送る「修了式」だ。中学生の少女の番で、読み上げていたスタッフYさんが感極まり泣きだした。ボランティアも一斉にもらい泣き。当の本人は
、少し困った顔をした後、そっとYさんの涙を拭った。少女の言葉がそこにあった。



                                          2016年6月8日(水曜日)京都新聞 夕刊




店主一。
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ムーレック“のんびり、ちょっぴり、世界とつながる”をコンセプトに、アジアを主とする世界の子ども支援を目的とした、町屋スタイルのカフェ&雑貨ショップです。

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