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ななめへの想像力

 詩をひとつ紹介したい。詠み手の男性は旧知の人物で、30代になってアスペルガー症候群と診断された。「まっすぐに生きられないなら」というこの作品には、彼の抱える生きづらさがストレートに詠まれている。
 
<まっすぐに生きられないなら/ゆがまずに ななめに 生きよう/上も前も見れないならば/首をひねって考えよう/世間の基準に合わなくても/きっと どこかを 認めてくれる/誰もかも 自分ですらも/認められない自分だけど/せめて捨てずに連れて行こう/己の知りうるすべてをつれて>(詩集『里地荒平の世界』より)

 普段話す彼は、正直なところややこしい。話題がかみ合ったかと思うと、予想外のディテールにこだわって、話が複雑になったりする。だから、彼がこの詩に込めた思いをじっくり聞いてみたいと願いつつ、一晩では済まなさそうなので、今のところはやめている。いずれにせよ、この詩から何を感じ取るかは人それぞれだろうから、解説ができたとしても野暮な話。私が注目したいのは、詩に詠まれた「ななめ」についてだ。

 「まっすぐ」から見ると、「ななめ」は変。でも、「ななめ」から見ると、「まっすぐ」も変。だまし絵のような二つの世界は、結局のところ、どちらが正しいということもない。けれど、これはお互いが「見えて」いるからこそ認識できるのであって、片方だけだと、その存在は消えてしまう。大抵の場合、「まっすぐ」が「ななめ」を見失って。

 いま、私たちは「ななめ」への想像力をどれくらい持っているのだろうか。目の前のことだけに夢中になり、ふと目をそらした先に広がる風景を思いやることができないでいる。いつだって、「ななめ」はそばにいるのに。

 「ななめ」は他者だ。他者の目から見ようとしない「まっすぐ」は、いつしかゆがむ。見えないふりを続けていると、本当に見えなくなる。 冒頭の詩に戻れば、「ななめ」は、苦しいながらも「まっすぐ」を見つめている。その上で、「ななめ」の世界を生きようとしている。だからこそ彼の言葉は素直に響く。

 長年、彼の頭の中にだけあったというこの詩を、文字に起こし、詩集に編んでくれたのが、今は亡きYさんという女性だ。みんなが面倒くさがる彼の話を「面白い、面白い」と聞いていた笑顔が思い出される。Yさんの存在がなければ、詩を発表することはなかっただろうと彼は言う。家族にさえ伝えられなかったもがく心を、彼女の前ではかたちにできた。それはきっと、彼とYさんが、お互いの「ななめ」を思いやることができたからではないだろうか。

 人間は、想像するから人間だという。「まっすぐ」な道だけではなく、少し首を傾ければ、すぐ隣には「ななめ」の道もある。この道、しかない世界は寂しくて、息苦しい。


 
                                    2015年12月9日(水曜日)京都新聞 夕刊



店主一。
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